異なる民族、異なる文化のあいだには厚い壁があり、平和の敵となる
私の育った現代というのは、混沌たる疾風怒濤時代である。若い私の魂が時代に対して感じやすかったのも無理はない。ことに第二次世界大戦前夜の暗い世相は、私にとっても決定的な影響力を持った。
そこで私は、一介の学徒として、
どうすれば世界に平和と繫栄が作り出されるか、
その道を探りたいと願った。
そもそも地理学という混沌として間口の広い学問を自分の専攻に選んだのも、たんにロマンチシズムばかりではなく、時代の呼び声を直感的に感じたからであった。
まず私の関心にのぼったのは、ウナギ登りにふえつつある世界の人口が、いかにして飯を食うことができるかという問題である。この問題については、戦後の数年をついやして、ともかくも、方向のあらましぐらいは一家言立てられるところまで努力した。
しかしそれでもまだ、平和の理論を打ち立てるには十分ではない。異なる民族、異なる文化のあいだには暑い壁があって、これが平和の敵となる。
そこで私は文化人類学に興味を持ち始めた。
1957年10月1日
(「ネパール王国探検記」 講談社文庫 まえがきより)
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