異なる民族、異なる文化のあいだには厚い壁があり、平和の敵となる

私の育った現代というのは、混沌たる疾風怒濤時代である。若い私の魂が時代に対して感じやすかったのも無理はない。ことに第二次世界大戦前夜の暗い世相は、私にとっても決定的な影響力を持った。

そこで私は、一介の学徒として、

どうすれば世界に平和と繫栄が作り出されるか、

その道を探りたいと願った。

そもそも地理学という混沌として間口の広い学問を自分の専攻に選んだのも、たんにロマンチシズムばかりではなく、時代の呼び声を直感的に感じたからであった。

まず私の関心にのぼったのは、ウナギ登りにふえつつある世界の人口が、いかにして飯を食うことができるかという問題である。この問題については、戦後の数年をついやして、ともかくも、方向のあらましぐらいは一家言立てられるところまで努力した。

しかしそれでもまだ、平和の理論を打ち立てるには十分ではない。異なる民族、異なる文化のあいだには暑い壁があって、これが平和の敵となる。

そこで私は文化人類学に興味を持ち始めた。

1957年10月1日

(「ネパール王国探検記」 講談社文庫 まえがきより)

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一人で全体を見渡す世界像と世界観を持て

経済のことは、経済学者にまかせよ、文化のことは文化人類学者にまかせよ、というのが、今日の日本の通念かもしれない。しかしこういうモザイック主義の思想に、一回痛撃を喰らわせることが必要ではないだろうか。

現実をそんな風にコマ切り細工してもて遊んでいる暇に、日本丸を曳航した国際丸はブクブク沈没してしまわないとも限らないからである。

現在は、一人の人間でほぼ全体で見渡せる範囲の世界像と世界観が痛切に要求されている時代だと思う。



(日本文化探検 まえがきより)

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川喜田二郎先生 逝去

平成21年7月8日、KJ法創始者、川喜田二郎先生が逝去されました。

               

謹んでご冥福をお祈りいたします。

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葛藤とは、生きることである

創造性の重要性を説く一方、川喜田は次のようにも言う。

「人生には創造性だけあればよいのか----わたしはそうは思わない」

人間には創造性と日常性、革新性と保守性があるが、保守なくして創造なく、創造なくして保守なし、という半面を同時に認める正直さの必要だ、と続ける。

「生産的な葛藤、すなわち創造的に乗りこえてゆく葛藤なら、大変よいものである。それこそ、「生きる」ということの中味ズバリではないか。」

(「知」の探検学、p8-9、なぜ取材学が必要か?より)
[参照文献『「知」の探検学』(講談社現代新書)]




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男のお産

KJ法はなぜか、簡単にできると思われているフシがある。

きちんとやったことがある人は、その難しさがわかるようだが、テキトーにやっていると、全然違うことをやりつつも、KJ法をやっているのだと、思い込んでしまうらしい。

川喜田は言う。


「自分の既成概念でデータをねじふせてまとめようという人間の我の強さのため、虚心坦懐にデータの語りかける声にしたがって自然に組み立てるということが、初めのうちは困難なようである。」

「KJ法は口でいうほど簡単にできる作業ではない。初めての人はラベルを前にしてウンウンうなる。」

そして、その状態を次のように例えた。


「男のお産」


(「知」の探検学』p.23、なぜ取材学が必要か )
[参照文献『「知」の探検学』(講談社現代新書)]






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「判る」は「決断」のもと

情報の取材能力と処理能力を、川喜田は料理に例え、よい素材を集め、うまくて栄養のある料理をつくることになぞらえた。

そして、それらは、最終的に『よい判断』に到達するためのものとした。

なぜ、よい判断が必要かといえば、

「わからないと、ものごとをやろうという決断がつかない」

からである。

「わかる」があって「決める」がやってくる。

そこから、計画、具体策、実行、そして成果に結びつくのである。

[参照文献『「知」の探検学』(講談社現代新書)]

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心の栄養物

「肉体に栄養物が必要なように、心にも栄養物が必要だ」

と川喜田は説く。

そのためには、新鮮な情報をとりこみ、消化し、判断することが必要だとしている。

情報の取り込み、つまり、取材力は大切である。

「よい材料をしこまないと、いくら料理の腕があっても、うまくて栄養のある料理ができなのと同じである。」

しかし、その大切なことが常識にはなっていない現実を彼は嘆く。

川喜田がこれを書いたのは昭和53年。既に20年以上経過し、われらの多くは、コンビニ弁当に馴化された舌になった。舌だけでなく、頭と心の方も同様で、自ら情報を集めにいくようなことはせず、テレビや新聞やインターネットからの加工食品による、偏食的生活に慣れきっている。

[参照文献『「知」の探検学』(講談社現代新書)]

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一億総家畜化

「今までの西欧近代型通念による無機質の文明化をただ無反省な惰性で流れてゆく限り、「一億総家畜」は免れまいと思う」

(川喜田二郎著作集 別巻p.243「私の自画像を語る-著作集全体のあとがきにかえて」より)

かつて、テレビが普及しだすと大宅壮一が日本は「一億総白痴化」すると云った。川喜田は、それを踏まえているのだが、更に、総白痴化・総家畜化路線の犠牲の悲劇はグローバルな規模でおこると考えた。

川喜田は云う。

「現実には、人間性は到底そのような悲劇には絶えられるものではない。ということは、当然社会的反乱がおこるだろうということである。」

[参照文献「川喜田二郎著作集」(中央公論社)]

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ヤリガイと生きがい

「人間は創造的に働く時にヤリガイを得、そのやりがいが累積して生きがいが生まれる」

(川喜田二郎著作集 別巻p.241「私の自画像を語る-著作集全体のあとがきにかえて」より)

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川喜田二郎が「パーティー学」を出版した際「生きがい」という言葉と「ヤリガイ」という言葉を使った。「生きがい」は当時の日本で流行語となったが「ヤリガイ」の方はそれほど関心がもたれなかった。

川喜田は著書の中で云う。

「人間の心の深部を充実させる創造性の方には真剣な考慮を払わず、その創造的行為の果実たる生きがいの方ばかりを欲しがっているということになる」

[参照文献「川喜田二郎著作集」(中央公論社)]

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仮説をつくることにとらわれてはいけない

何かを研究しようとした場合、その何かについてのテーマを考えることが一般的である。

しかし、川喜田はいう。

「しかしながら野外科学の方法で対象にぶつかっていくときに、そこにあらかじめなんらかの仮説をつくることにとらわれてはいけないのである。まず現場を見なければならない」

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(発想法 p.26より)
[参照文献「発想法」(中公新書)]

提供: 現場から発想するエバーフィールド

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