文化は個々の要素の足し算ではなく、関連的に編み上げられたものである

文化(あるいは生活様式)というのもは、単に個々の文化要素あるいは文化の一側面の、足し算したようなものではなく、それらが関連的に編み上げられたものだということである。

それゆえに、ひとつの側面だけが変って、他は元のままということも、至難なのである。

(世界史のなかの日本 p265「日本文化探検」) 講談社文庫

Sponsored Link 

KJ法-認定講師の公開講座 everfield.co.jp
発想法,質的研究,問題提起, 意識改革へ
基本重視し、究極を目指す

「耳からの」情報に安んじるな。この目で確かめよ

もし私たちが、氏族間の共同飲食のタブーについて、そのたてまえだけうけたまわって帰ったとしたら、チベット社会にもカースト制度があるなどという、とんでもない結論までださないともかぎらない。それにおちいらずにすんだのは、飯島君らの「この目で確かめる」精神があったからである。

この精神が培われた一つの背景は、言葉がまったく通じない段階から始めたからだ。言葉がはじめから達者な者のおちいるひとつの危険は、「耳からの」情報に安んじすぎることである。

(鳥葬の民 p273「鳥葬の国 秘境ヒマラヤ探検記」) 講談社学術文庫

Sponsored Link 

KJ法-認定講師の公開講座 everfield.co.jp
発想法,質的研究,問題提起, 意識改革へ
基本重視し、究極を目指す

「フィールドワークの時間がない」という弁明は不要である

立石電機の会長をしておられた立石一真さんが『永遠なれベンチャー精神』という若々しいご著書を送ってくださいました。それを読むと、参考になることがあるんです。その一例です。

あるとき、立石さんは考えた。

マーケットの実態を知るため調査しなければいかん、と。そのときに「せっかく社員は営業で活動しているんだ。営業だけで帰ってくるなんて能のないことをするな。行ったら、営業活動をやりながら相手の反応を見たり、そこで取材してきてくれ」ということをやっているんです。それが大変ヒットしたという話なんです。

結局、日常生活のなかで取材をするならば、フィールドワークの時間がとれないなどという弁明は不要になってくる。

(実務におけるフィールドワーク p99「KJ法と未来学」川喜田二郎著作集6) 中央公論社

Sponsored Link 

KJ法-認定講師の公開講座 everfield.co.jp
発想法,質的研究,問題提起, 意識改革へ
基本重視し、究極を目指す

この世界の最初にくるのは渾沌であり、渾沌そのものの中から、創造への意思が生まれる

私は野外科学的方法の目覚めと共に、私にとっては未知な、ある世界観を模索し始めたのだ。そうして私なりの人生行路の中で、その導きの石となるいろいろな現実からの取材をしたわけである。私が学者としての道を歩いたことは、そのために役立ったにちがいない。

そのような歩みと試行のなかから、移動大学も構想したし、そこに何を見いだそうとしたかも期待したのだった。しかもその結果は、私の予想を満たしたうえに、なおそれを遥に上回る、いわば驚倒すべきものが生まれたのである。

ここでは、このような多様な素材から、現在の私が抱いている、漠たる新世界観をのべて、この著作集のしめくくりとしよう。

まずこの世界の最初にくるのは渾沌である。その渾沌の外からではなくて、渾沌そのものの中から、創造への意思のようなものが生まれてくる。それが成長すると共に、主体と客体、もしくは主体と環境という、対極化した関係が生まれてくるのである。

(私の自画像を語る p262-3「川喜田二郎著作集 別巻 私の人生論」より) 中央公論社

Sponsored Link 

KJ法-認定講師の公開講座 everfield.co.jp
発想法,質的研究,問題提起, 意識改革へ
基本重視し、究極を目指

車には分析的車輪と総合的車輪(KJ法)の両輪が必要だ

今日までの科学は、分析的であり、データはなるべく定量化しようとして、そして法則追求的なのであった。これに対しKJ法の道は総合的であり、データを定性的に扱い、そして独自性とか個性を追求する面を開拓したものである。しかしKJ法は決して、分析的・定量的・法則追求的なデカルト的方法論を、まちがっているとしているのでもなければ排斥しているのでもない。そうではなくて、それは車の片車輪にすぎないといっているのである。もうひとつの車輪として、総合的・定性的・個性把握的な方法論をも科学のうちに含めないと、車は転覆してしまいますよといっているのである。

(発想法 p227「あとがき」より) 中公文庫

データの処理過程が説明できない論文は非科学的だ

取材ネット、データ採取だけでなく、そのデータの加工処理の段階で、またまたたくさんのウソや歪曲が入る。

これをなるべく防ぐには、その加工処理工程をガラス張りにすることが、ひじょうに大切になる。

すくなくとも「求められれば」いつでも工程を説明できる用意が必要ではないか。

それが科学的なのだ。その工程をブラックボックスにしておいて、結論だけをいかにも「私は主観などいれてません」などと取りつくろう。

そういう論文を書くのを非科学的というべきだろう

(KJ法 と未来学 p369「KJ法と啓発的地誌への夢」より) 中央公論社

KJ法は定量的情報との連携をも視野にいれ開発された

KJ法はそもそもの初めから、定量的情報との連携をも期待して開発されたものだ。

(KJ法 と未来学 p340「KJ法・コンピューター・情報」より) 中央公論社

KJ法は、現場の人々には好まれ、現場から遠い人には疎まれる

現場から遠いホワイトカラーは、しばしばKJ法に拒絶的である。行政の世界では、現場に近いほどKJ法に好意的である。

(KJ法と未来学 p165「KJ法の普及をめぐる潮流と問題点」より) 中央公論社

「探検」による情報収集では、なんでも集めるという態度が重要だ

探検的な方法で情報を集めるときに大切なことは、「なんとなく関心をひく情報」はなんでも集めるという態度が必要である。そしてこのことがきわめて大事なことになる。その情報があとでどういう意味で役にたつかということをあまり意に介してはいけない。

(発想法 p35「野外科学の方法と条件」より) 中公新書

一回性的、個性的、ありのままの野外的自然が研究の対象にされるべきだ

フランス革命は歴史上、一度しかおこらなかった。おなじようなことはそれ以前にもけっしてなかったし、これから先にも二度とはおこらないだろう。また北海道は地球上どこにもない地域で、北海道だけにしかない、一回性的、個性的なものである。また、ある会社や職場で、ある特定の意地の悪い部課長がいるという現場の状況は、ここのほかに世界中どこにもない。それがありのままの自然、あるいは野外的自然というものなのである。このような野外的自然を研究の対象にしなければならない必要性がある。

(発想法 p13「野外科学」より) 中公新書